会報かしはで(第一九号 令和三年三月十五日)

「日本書紀」と神道教学


 平成と令和の御代替はりを経験し、神社関係者はその間の教学的な対応に課題は無かったかを検証すべき時期がきてゐるが、その活動はいささか不十分に感ぜられる。そこに新型コロナが重なり、一層困難な局面を迎へてゐる。
 ポストコロナとかウイズコロナといはれる「新しい生活様式」において、神社と地域社会ないしは国家をどのやうにとらへてゆくか、現代の神道教学としても大きな取り組みが必要である。
 しかし、このやうな危機感のある議論が希薄であると感じてゐるのは小生だけであらうか。
 「神社」とは我が国の社会(氏子区域や地域社会・国家、皇室との関係もふくめ)のなかで、如何なる存在か、どんな役割を果たすべきかを、常に時代の変化や状況に即して、時宜に応じた議論をしてゆくことが必要であり、それが神社を護持してゆく基盤となるものであると考へられる。その教学の構築のための活動、手順、方法はいかなるものであるべきか、その一端に関する私見を述べさせていただく。

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