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復元立身弁才天像

令和3年11月23日発行 《みたまのふゆ第91号》より

古来、琵琶嶋神社に祀られてきた弁才天のご神像は、瀬戸神社本社のご神像群とともに、横浜市の文化財にも指定され、収蔵庫に厳重保存されてゐます

また、もともとは八臂といって、八本の腕に宝珠のほか、弓、矢、剣などなどを持つ姿でしたが、六本の腕は失われてをりました


これを元の姿を想定して復元し、新たなご神像がこのほど完成しました

正月の金沢七福神巡り参拝のみなさまにはこの御像を拝観していただく予定です


この復元神像の作製されたのは、横浜市内在住で仏師として製作作業や彫刻教室の活動もされてゐる植草剞空師です

植草さんのご先祖の植草家は、江戸時代まで瀬戸神社に仕える社家のひとつで、鶴岡八幡宮の八乙女として巫女として神仕へもするお家柄でした

そのご縁もあり、今般の復元作業にも誠心誠意のご協力を下されました

紙面ながら感謝申し上げます


pdfはこちら→https://www.setojinja.or.jp/pdf/90mita.pdf


新社務所を「淑月館」と命名

瀬戸神社社務所を「淑月館」と名付けることとしました

社務所は氏子崇敬者の御協賛を得て、令和御大礼記念事業として令和二年三月に竣功しました


令和の年号は「万葉集」の中の「初春令月、気淑風和」からとられました

この句の「令」「和」と並ぶ文字に「月」と「淑」があります。もとより瀬戸の地は金澤八景の「瀬戸秋月」として「月」の名所でもありますので、これにも因み「淑月」の文字をいただき「淑月館」とさせていただくこととしました


拙筆で恐縮ながら宮司揮毫にて玄関に額を掲げました


既に二階大広間は、いくつかの団体の定期会合にも利用されてをりますが、今後も各種の会合や講演会等に有意義なご利用をいただければまことに有り難く存じます

大祓と茅の輪くぐり

令和3年5月15日発行 《みたまのふゆ第90号》より

(写真)明治初期の鶏卵印画紙に着色した千代本ほか瀬戸橋際の料理屋

pdfはこちら→https://www.setojinja.or.jp/pdf/90mita.pdf


例年、6月30日と12月31日には「大祓」の行事があり、境内で「大祓詞宣読」に続き、「茅の輪くぐり」をしてまゐりました

しかし、昨年よりウイルス蔓延の状況を考慮して、皆様にご参集いただいての行事を中止しました

本年6月も、集団での行事は見合はせる予定ですが、茅の輪は境内に設置し、「大祓の人形(ひとがた」の配布もさせていただきますので、各自で個別に「茅の輪くぐり」をお済ませ願ひます

「大祓の人形」をお納めの皆様には、「茅の輪守り」を授与させていただきます

そもそも「茅の輪」の謂はれは、素戔嗚命が蘇民将来に疫病よけの護符として教へたものと伝承されますが、古代からかうした伝承を共有するかたちで、流行病に人々は協力して対処してきたのでせう

現代にあっても「祈り」と「実践」を一人でも多くの人が共有することで、悪疫を克服することができるのではないでしょうか

年末までには、大勢の皆さんが集合しての「大祓」行事ができることを念じ、皆々様のご健勝を御祈念申し上げます

新しい「まつり」の姿は

明治初期の鶏卵印画紙に着色した平潟湾の写真

令和2年11月23日発行 《みたまのふゆ第89号》より

pdfはこちら→https://www.setojinja.or.jp/pdf/89mita.pdf


令和二年は春先から新型コロナウィルスの蔓延のため、祭礼行事に皆様のご参列をいただくことができず、五月の例大祭の「おわたり行事」も、七月の天王祭の町内巡幸も中止せざるを得ない状況となりました

「賑はひ」(賑わい)こそが祭礼の本来の姿であるのに、まことに残念な一年となりました

恒例の祭典はなくとも、すべて滞りなくご奉仕し、国家の安泰と氏子・崇敬者の繁栄に併せて、一日も早い厄疫退散にもご加護のあらんことをご祈願いたしてまいりました

月次祭と神道講話は、過密となる人数とはなりませんので、毎月の実施を継続できました

この間、日々のお詣りを継続されておられる方々も多くおられましたことは、まことにありがたいことでした

「ステイホーム」や「リモートワーク」などが推進されるなかで、早朝に「密」を避けて、運動も兼ねて歩いて近くの神社に参拝することが、免疫力向上にもなるともいわれます

これは昔からの生活習慣でもありましょう

「新しい生活様式」は先祖の残した様式のなかにこそあるのではないでしょうか