「祖先の道」と「神の道」
ロンドンでは、市内の移動に有名な赤い二階バスが便利です。
後部のデッキは広く、乗り降りはスムーズです。
でもドアはありません。
勿論、車掌がいて、危険な状況になると乗車をさせません。
しかし、日本のバスにドアなしは行政上、運行は許されないのではないでせうか。
ドアのないバスでも乗客がマナーを守ることにより安全運行ができる。
これがロンドンの文化であり、市民の自己責任が背景にあることを感じました。
アメリカのグランドキャニオンの崖にも手摺や柵はないそうです。

市民・国民が当然に身に付けてゐるマナーや作法、常識、人生観、要約すれば国民の基本的文化が先づ存在し、その上に、政治や行政責任があるのが成熟した先進的な国家なのでせう。
この国民の文化の基礎を子供たちに習熟させることが、第一の教育、特に家庭教育や初等教育でなくてはなりますまい。
しかし、現状の教育にはこのことが忘れられてゐるとみられませんか。

戦後は自由といふことが尊重されてきましたが、本当の自由が理解できずに、ただの放任になつてゐることが多いのですが、人間性の基本は、放任では身に付きません。
身に付くのは野獣性だけです。幼児虐待の記事をみるたびにこのことを痛感します。
本能と欲望にしか心が動かなくなり、我が子の生命をも無視する親の存在などこの典型でせう。

教育の基本は「人間らしさ」を身につけることであり、「人間らしさ」とは「家族」や「町」「村」を構成し社会生活を営んできた人間生活の「姿」「形」にあります。
この「姿」「形」は世界的にみれば、民族や国によりさまざまなものがあります。
その中で、自分たちの社会の「姿」「形」を先づ学ぶのです。
(この学習の前提として、自らの国語を修得することが必要です。正しい日本語が大切なのも、言葉の正しさの中に「心」の正しさがあるからなのです。)

直接的には親やその他の年長者、教育者の姿から学ぶのですが、その最も要約された「姿」はどこにあるのでせう。

それは親の親の親の……と集約されたところに基本があるはずです。
つまり「祖先の姿」です。
祖先の「姿」「形」を知ることで、我国の国土の上で生活してきた、祖先たちの「心」を知ることができるのです。
最近、アメリカ映画の影響もあつて「武士道」が見直され、武士道関係の書籍も多く出版されてゐます。
「武士道」も祖先の姿の重要な部分であり、かうした書籍を若い方々が読んでくれることは好ましいと思ひます。
そして「武士道」も含め、「祖先の道」も含め、これらを集約した道が「神の道」「神道」であると言へませう。
日本人がみな「神道」のマナーも心も身に付け自覚できれば、その上に本当の自由も繁栄も、また文化の発展も国家の安全も獲得できるのだと存じます。