瀬戸神社祭神「大山祇神」の御神徳



神社にはそれぞれに御祭神があります。
瀬戸神社の御祭神はどのやうな神々かと申しますと、主祭神として大山祇神をお祀りし、相殿として素戔嗚尊菅原道真公を配祀し、さらに明治時代に合祀した旧六浦地区内の各字の神社ならびに円通寺東照宮の御祭神を合せ祀つてゐます。
主祭神とは、複数の御祭神のなかの中心となる主要な祭神であり、その神社の御鎮座に関はる本来の祭神です。

それでは、瀬戸神社の主祭神である「大山祇神」の御神徳についてできるだけ解り易く述べてみたいと思ひます。
解り易くとは申しましたが、神社の祭神、神道の神々といふものは、多くの場合、歴史的に様々な「いはれ」や由緒、信仰のかたちが重複し、集合して今日に致りますので、単純に簡単な言葉で説明することが難しいのです。
瀬戸神社の場合も例外ではありません。
ですから、いくつかの要素に分けてお話しします。
それらの要素をすべて重ね合はせ、総合したものが瀬戸神社の御祭神の御神徳だと御理解ください。

まづ第一の要素はヤマツミの神といふことです。
漢字で「大山祇神」と書き、オホヤマツミノカミと訓みますが、「大山津見神」との表記方もあり、瀬戸神社に現存の沙彌寂尹筆「正一位大山積神宮」の額のやうに「大山積神」とも書かれます。
漢字による日本の神さまのお名前の表記は、いはば宛字で、どの表記も同じ神を指してゐます。
要するにオホヤマツミノカミなのです。そして、この神名の幹の部分はヤマツミです。
ヤマツミに対比される神名にワタツミがあります。
これらの神名はどのやうに解釈されるかと申しますと、ヤマは山であり、ワタは海のことです。
ミはカミ(神)のミであり、ツは現代語の「の」にあたります。
睫毛(マツゲ)といふ言葉がありますが、マは目(マナコといふときのマです)で、ツは「の」にあたりますから、マツゲとは「目の毛」といふ語原です。
同様にヤマツミ、ワタツミとは山の神、海の神といふ意味になります。
この山の神といふことが第一の基本的な要素です。
私たちは海の恵み、山の恵みなどさまざまな自然の恵みを受けて生きてゐますが、
ことに山の恵み、大地の恵み、鉱物・動植物・木材その他、人間の生活に欠かせぬ大自然の恵みを象徴する神さまであるといふことでせう。

つぎに第二の御神徳の要素について述べませう。
古事記や日本書紀など神々の御事跡について書かれた書物によりますと、ヤマツミと申してもたくさんのヤマツミがおられます。
マサカヤマツミノカミ、オドヤマツミノカミ、オクヤマツミノカミ、クラヤマツミノカミ、シキヤマツミノカミ、ハヤマツミノカミ、ハラヤマツミノカミ、トヤマツミノカミなど八山祇と呼ばれる神々をはじめいくつもの神名があります。
これらの多数のヤマツミ、さらには山祇以外のふくめた国津神諸々の代表となる神がオホヤマツミノカミなのです。

八俣の大蛇を退治された素戔嗚尊と大山津見神の娘神の間に生まれた神々に大年神(穀物の稔りの神)や宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ、お稲荷さんの御祭神です)などがあり、その兄弟神の子孫が大国主神(大黒さま)です。
それだけではありません。
高天ヶ原から瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨されたとき、大山津見神の娘、木花之佐久夜毘賣(コノハナノサクヤビメ、浅間神社の御祭神です)と結婚されて生まれたのが、山幸彦・海幸彦です。
海幸彦から借りた釣針をなくした山幸彦(神名はホヲリノミコト)は、海の底のワタツミの神の宮殿にゆき、針を返してもらふとともに、潮乾珠、潮盈珠をもらひ受けてきて海幸彦をこらしめます。
そしてワタツミノカミの娘トヨタマビメと結婚し、ウガヤフキアヘズノミコトが生まれ、さらにその子がカムヤマトイハレヒコで、後に大和に東征し、神武天皇として即位されます。
皇室の御先祖と一番最初の縁結びをされ、最も古い親戚になられた神さまといふこともできませう。
すなはち、大山津見神は娘神たちを御神威の高い神々に嫁がせ、その御子神は農業生産・国土開発・殖産興業・経営統治・国家安泰の偉大な神々となられてゐるのです。
これらは当然、オホヤマツミノカミの国造り、国起し、事業発展の御神徳の顕はれでありませう。
またこのことも、縁結び、安産の御神徳があつてこそ、成就されたとも申せます。

続いて、第三の御神徳として、オホヤマツミノカミをまつる瀬戸神社以外の著名大社の御由緒を参照してみませう。
愛媛県大三島は瀬戸内海の要衝を占める島で、古来、三島水軍・村上水軍の根拠地として知られますが、ここに大山祇神社が鎮座します。
水軍の崇敬する神として、海上安全・航海の神としての御神徳が知られてゐます。
山の神がなぜ海上の神かと思はれるかも知れませんが、羅針盤や灯台などの施設、ましてやレーダーなどの機械のない古代には、海上航海をする人々にとつて、海上から遥かに望む山の姿は、船の位置や方角の確認のために大変重要なものであつたのです。
山の神の助けなくては航海は出来ないのです。
さらに「伊予国風土記逸文」といふ古文件には、この神は「わたし(渡し)の大神」とも呼ばれ、百済国から渡つてこられたとの記述もあります。
国際的な渡航の神でもあつたのです。

六浦湊は江戸湾一帯の海上航路の中枢であり、さらに三艘の地名の起原としても知られるやうに、唐(宋あるいは明)の国からの船も来るといふ貿易港でもありました。
三島の神はその大切な守護神としての御神徳を果たしてもをられるのです。
海上御守護の御神威は交通・運輸・交易・商業に限らず、漁業、水産業などの御神徳に及ぶことは申すまでもありません。

静岡県三島市には三島大社が鎮座してゐます。
源頼朝がこの三島大社の祭神を勧請したのが瀬戸神社のはじまりと伝承されるやうに、瀬戸神社と最も関係の深い神社でもあります。
頼朝は日頃崇敬するこの三島大社に願を掛け、祭礼の日に併せて平家追討の兵を挙げ、最終的には平家を倒し鎌倉に幕府を開くに致りました。
ですから、三島の神は、旗揚げの神、新規事業の守護神であり武運長久、立身出世、大願成就の神さまとも仰がれます。

鎌倉三代将軍源実朝は、瀬戸神社参詣のおりに「わたつみの瀬戸のやしろの神垣にねがひぞ満つる潮のまにまに」の献詠をされました。
平潟湾の上げ潮が力強く、神前の垣にまで迫つてくるやうに願ひを叶へてくれる瀬戸の三島の神の御神徳は雄大であると、いかにも実朝らしい宏大な風景を描きだす雄渾な趣の和歌であると存じます。
「瑞潮満願」こそ瀬戸神社の御神徳ともうせませう。
これが第四の要素です。

最後に第五の要素を付け加へませう。
三島大社は、三島市に鎮座してゐますが、平安時代の前半までは伊豆半島の先端の白浜に鎮座してゐました。
現在も伊古奈比当ス神社といふ三島神の妃神を祀る神社がこの地に鎮座してゐますが、昔は並んで祀られてゐたとのことです。
そして「日本後紀」「続日本後紀」「三宅記」などの古記録では、伊豆諸島の火山造島現象をこの神々のお働きとした記述がみられます。
詳細は省略しますが、地球のエネルギーの発露としての火山現象を神々のご神威の顕れとみることが行なはれてゐました。
三島の神のご神徳には、地球的規模での自然現象をも司る大きな力を含んで居るのです。

以上、古文献や由緒に記されることを基準に、ご神徳について述べましたが、これらの要素に語りつくす事はできません。
瀬戸神社のご本殿には藤原佐理筆の「日本総鎮守」といふ額が掛かつてゐますが、ご神徳は日本の国の隅々まで及ばぬところ、及ばぬ事々はない宏大な物であると申すのが本当なのでせう。