「力石」と敬神・奉納の心

瀬戸神社の境内には大きな「榧(かや)の木」があります
樹齢一千年にも達しようかといふ古木で、御神木としてシメ縄が廻らされてゐます
また天然記念物として市の文化財にも指定されてゐます

ところで、この榧の木の根元近くに、一抱へ以上もある大きな石がふたつ置かれてゐるのをご存じですか

大きい方の石にはよくみると文字が彫られてゐます

摩耗して読み難くなつてゐますが、上の方に、横書きで「奉納」の文字があり、中央部には縦書きで以下のやうな文字が確認できます

江戸鬼熊
八拾五貫目
長谷川福太郎

この外にも人名がいくつか彫られてゐるやうですが、明瞭ではありません

この石は、「力石(ちからいし)」と言ひます

江戸の鬼熊といふのは、江戸相撲の力士の四股名で、その力自慢の力士が、この石を持ち上げたといふことで、その力を称へて石に名前を刻むとともに、おそらく鬼熊のタニマチであった長谷川福太郎さん達が、御神前に奉納したものと思はれます

小さい方の石には、文字などは刻まれてはをりませんが、年輩の方々のお話では、戦前は兵隊検査の年齢を迎へた瀬戸町内の男達が、この石を持ち上げて力自慢をみせる慣習があつたといふことです

小さい方の石を持ち上げる者は多くゐたが、さすがに大い方の石は持ち上げる者はほとんどゐなかったとのことです

神さまに対して、人は様々なものを奉納し、お供へして祈ります

今日、一般の方々が、神社に御祈願される時には、金銭でお納めするのが普通ですが、昔は、神さまのお心に叶ふやうな品物をお供しました

御供へ物の基本的な品目は、お米、お酒、海の幸(魚、海藻類)、山の幸(野菜、果物)などです
要するに、日本人の基本的な食材であり、しかもこれらを全部揃へると、栄養のバランスも充分とれてゐます

金銭でお供へするときに、熨斗袋の上には「お初穗」「御初穗料」などと書く事が多いのですが、これも、もとはといへば、自分の田畑の作物の初なりを、新鮮なうちにお供へしたことの名残でせう

このやうに、御供へ物の基本の第一は「食」にあるといふことができますが、これに加へて「衣」と「住」に関するお供へがあり、「衣食住」が揃ってお供へ物は一応完結します

重要なお祭りでは、御神前に「幣帛」といふものが献られますが、これは本来は絹や布のことで、神さまの衣類の素材です

「住」は云ふまでもなく御社殿で、簡単に奉納するといふ訳にはいきませんが、御燈明の蝋燭を上げることなどは、「住」に付随する照明の奉納といへませう

ところで、お供へは何のためにするのでせうか
単純に考へれば、神さまの気を引いてといつては言葉は悪いが、御神慮を和めて、一層の御利益を頂くためとお考への方が多いのではないでせうか

しかし、この入門講座ではもう少し深く考へてみたいと思ひます

神は人の敬により威を増し、
人は神の徳により運を添ふ

といふ言葉があります

鎌倉時代の「貞永式目」の第一条に「神社を修理し祭祀を専らにすべきこと」が定められ、その説明の文章として掲げられてゐる言葉です
神さまの御神威は人の敬によつて高まるといふのです
神さまのお力が強まることにより、人間がより大きな御神徳を戴き、そこで始めて御利益を蒙ることができるといふ意味です

つまり、お供へ物をしたり、金銭を納めることにより、その対価として御利益を下さいといふのではないのです
これでは、神さまが賄賂をねだる悪役人と変りなくなってしまいます
信仰の在り方としては低俗なものに過ぎません

神さまに御神威を高めていただき、力の強い立派な、より大きな神さまになっていただくことが、自分自身のエゴや欲望を満たすための御利益より先でなくてはなりますまい
無私の気持から、御神威の増大を願つてするのが、本当の「敬神の心」に基くお供へであり奉納であると申せませう

「衣食住」のお供へ物も、神さまに満足いただくためといふだけのものでなく、それにより神さま自身が本来の霊力を発揮していただけるとの信頼に基くものでもあるのです
さらに、神さまに力強くなっていただきたい、御神威を高めていただきたいと願つて奉納をする時は、「衣食住」の奉納に留らず、もつとストレートに、「力」そのものを奉納し、強い力や技をご覧いただくことにより、神さまにも「力」を発揮していただかうといふ信仰も古く生じました

古来、神社で奉納相撲が行はれたりするのも、かうした信仰がその起原にあるのです

今日、私たちも野球やサッカーその他スポーツで、地元チームや贔のチームの活躍には感動し心がおどります
神さまにも御神慮を躍動させてほしい願ひをこめて「力」の奉納が行はれます
「力石」の奉納も、かうした趣旨の一環でありませう

奉納の形にはこの外、「美」「学問」「技」などさまざまなものがあります
いづれも御神威の発揚を願ふものと理解できます

瀬戸の大神さまの御神威を一層高めていただくことが、氏子一同また一人一人にとつても貴重な御神徳をいただく元となることを御理解いただきたく存じます